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映画「MINAMATA」を観て

2021年12月03日

制作部の小山です。

ジョニー・デップ製作主演の映画「MINAMATA」を観ました。
実在したジャーナリストに興味があったのと、今まで水俣病について深く知ろう
ともせずに生きてきたことへの反省もあって映画館に足を運んだ次第です。

私が高校生だった50年ほど前の日本が舞台の映画です。
熊本県水俣市の化学工場が海に垂れ流した有機水銀で集団発生した水俣病と戦う
地域住民の姿と、住民に寄り添いながら写真を撮り続けたアメリカ人ジャーナリ
スト、ユージン・スミスの姿を描いています。
水俣病は、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと並ぶ「四大公害病」
のひとつで、日本の高度経済成長時代(1950年代後半~1973年)の負の遺産と言われています。

観た感想はですね…、悲しみと憤り、自らの無知を恥じる思い、
なんだか、ほっぺをバシバシ叩き続けられたような、
そして、生きる姿に胸を刺され・・・
そうそう“美しさ”にも心を打たれました。風景も役者も演出も音楽も・・・
特に光に包まれたあの静謐な母子のシーンは、息をのむ美しさでした。

さて映画を観た後に、私の人生の近辺にあった「公害」について色々思い出す
ことがあり、ここに書き出していこうかと思います。
今までボーっと生きてきた私ですが、こんな視点で自分史を振り返るのも意味が
あるのではないかと・・・誰も興味ないやろうな~こんな話・・・
と思いつつ、いざ!

■1964年 9歳「小児喘息になる」
東京オリンピックの年。高度経済成長の真っ只中、福岡市から大阪市へ転校。
ひどい咳が出るようになりました。

■小中高時代 「放射能の雨や!」
1945年から、アメリカを皮切りに世界の大国で次々に核実験が開始されました。
子供の頃は雨が降ると「放射能の雨や!」とはしゃいでいました。
悲壮感はほぼゼロ。
高校生くらいになると「さすがに勘弁してくれ」という気持ちがムクムクと。
ずっと水泳やってたので、雨に濡れ放題でしたから。

■1978年 社会人1年生 「いや、それあかんのとちゃうん!」
大学卒業後に勤めたあるメーカーの試作室での出来事。
水銀と他の金属の合金を試作していた試作課長が、試作で出た廃材を作業後
そのまま排水口に流していたところを見てしまった。
「課長、流していいんですか?」「大丈夫!」 そんな時代でした。

■1990年 35歳の時 「日本一汚い川の風物詩」
取材して初めて知った、大阪の大和川の“春の風物詩”のお話。
実家が大和川に近く、子供の頃から、汚くて臭い川という印象しかありません
でしたが、毎年春になるとウナギの稚魚(シラスウナギ)の
漁が行われていると聞いてびっくり!
はるかグアム島やマリアナ諸島沖の深海で生まれた二ホンウナギの稚魚が、毎年
春にわざわざ大和川河口にやってきて、川を溯上するというんです。
遠い海から遺伝子の記憶を頼りに命がけで戻ってきてくれるんです。
「せいぜい川を綺麗にしてお迎えせんといかんな」と思いました。
大和川は、1972年から日本の一級河川水質ワースト1位~3位をキープし、
2005年から3年連続ワースト1というとんでもない記録を打ち出していました。
汚染原因の8割は…工業排水と思いきや、生活排水なんです。
下水道や濾過施設の整備によって、2010年にやっとワースト3位を脱却!
今では環境基準レベルの水質に改善され、天然アユの遡上も確認されています。
やったね、大和川くん! と言いたいところですが、 肝心の二ホンウナギは、
2014年に絶滅危惧種に指定されてしまいました。
手遅れか??
かつて大和川のウナギは大阪一の高値が付くくらい立派だったのに・・・

■1991年 36歳の時 「公害認定患者?」
大阪市大淀区から東淀川区に移住してしばらくたった頃、長男も長女も咳が
ひどくなり、公害健康被害者として認定されました。
「誰が認定したの? 保障給付金は誰が払ってくれているの?」といった疑問が
湧き、テレビ番組で調べることに。
結果、
*自治体の長が認定する。
*【自動車重量税の一部】や【大気汚染の原因となる施設を持つ設置者の
納付金】が2:8の割合で独立行政法人環境再生保全機構にプールされ、
そこから自治体の長が認定患者に支払う。.

ということが分かりました。
「な~んだ。大気を汚している人たちが、ちゃんとお金を出し合ってくれて
いたんだ」 よかったよかった、ありがと~ え?

■1993年 38歳の時 「病気のふりをして並びました」
ある娯楽番組のロケで、新潟の農家にお世話になりました。
流れの豊かな阿賀野川に沿って開けた土地です。
阿賀野川といえば、1965年に下流域住民の公害病が公表されて以来、日本中に
ショックを与えた水銀中毒事件として知られていました。
撮影の合間に、農家のご主人が私に話しかけてきました。
「新潟水俣病、ご存じですか?」
「はい、学校で教わりました。皆さん、大変だったでしょうね」
「はい。私も公害病の認定を受けるために病気のふりをして病院に並びました」

この人は、なんてことを言うんや。認定されず本当に苦労されてる方も多いと
聞くのに、と呆れていたのですが、私の早とちりだということが分かりました。
説明をいたしますと、
ご主人は、当時の住民の混乱を自嘲ぎみに話そうとしたみたです。
当時公害病と認定されて補償金を受け取った人は、地域住民やマスメディアから
「金銭目的」とか「金欲しさのニセ患者」といった誹謗中傷をうけ、家屋の改築
を行えば「補償金で水俣御殿を建てた」と週刊誌で叩かれたりしたそうです。
公害病は、地域住民に健康被害を与えただけではなく、人間関係をも破壊し、
差別・中傷・偏見といった人々の間に埋めがたい深い溝を生み出していったよう
です。 う~む・・・
参照:「新潟水俣病問題を学習することの意義」
https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/142702.pdf

以上