[制作部 小山]
バーは人生の止まり木と言われているが、
あの時、確かに止まり木で安らぐことができた。
私がテレビ番組の制作に従事し始めたのが25歳。
番組制作は、生みの苦しみもあるが充実感があり
楽しくやってきたつもりだった。
ところが、50歳にして様々な挫折感が一挙に押し寄せ、
私は逃げるように会社を辞め、業界から去った。
二度と映像には関わらない。
そう心に決めて家の近所でショットバーをはじめたのだが…
バーテン稼業にも慣れたある日、放送作家の増山くんが店にやってきた。
かつて同じ番組に携わっていた仲間が私の店に来るということは、
もちろん嬉しいのだが、挫折感をそっと胸に抱いていた私には、
恥ずかしい、顔を合わせられない、情けない、という気持ちが大きかった。
彼はお酒を一口飲むと、こう切り出した。
「番組のDVDを出すんやけど、解説文を書く担当になってな、
小山さんが作ったビデオの解説も書くんやけど、
番組を辞めた小山さんの近況も含めて書きたいことがあって…
どう? 迷惑かな?」
捨てた過去などどうでも良いが、挫折した自分のことが世にさらされる…
一瞬気持ちは揺れたが、
「好きに書いてくれたらええ。俺、もう関係ないから」
そう言うしかなかった。
増山くんが書きたいというのは、こんな内容だった。
「小山ディレクターは、現在番組を辞めてショットバーをやっている。
“バーのカウンター”には“止まり木”という意味があるらしい。
小山さんは、お客が心安らぐ癒しの“止まり木”作ったのだ。
小山さんらしい。
思えば、小山さんが番組で作ってきたビデオは、
まさに、視聴者にとっての“止まり木”だった。」
確かに、
ディレクターをやっていた頃の私は、
視聴者が「観てよかった。明日もがんばろう」と言ってくれるような
ビデオを作りたいと思っていた。
そう思うことで、才能の無い自分を鼓舞してきた。
そしてバーを始めた私は、客が「マスターありがとう。明日も頑張るわ」と
言ってくれるような店にしたいと思っていた。
増山君の言葉で気が付いた。
僕は職業が変わっただけで、自分を見失ったわけじゃない。
気持ちが楽になった。胸に抱いていた挫折感が和らいだ。
さて、へそ曲がりの私は「増山がそう書きたいなら、それでいいやん」と
つっけんどんに言って彼と別れたように記憶している。
失礼な態度に見えたかもしれない。申し訳ない。
あれから17年。
私は、どういうわけか、また映像の仕事をやっている。
しかも、67歳なのにまだやっている。
僕の作る映像が誰かの「止まり木」になれば、と思いつつ…
増山くんはというと、その数年後に小説家となり、
「勇者たちへの伝言 いつの日か来た道」「甘夏とオリオン」
「ジュリーの世界」
といった話題作を世に出している。
どれも面白い。
もちろん私は、小説家、増山実のファンである。